Jesus Message


Jesusメッセージをあなたに
by kinojin
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2005年12月4日礼拝

「イエス様のこころ」  ルカ5章27~32節   

ポイント1:レビの人物像
この個所には、レビという人が出てきます。 皆さんはこの名前を聞いて何を思い起こしますか?
彼は取税人だと27節で言われています。 この取税人という仕事はどんな仕事だったと思いますか? ある説明では「彼はダマスコとアコを結ぶ道路を利用し運搬される商品に課税する仕事をしていたと思われる。」と書いてありました。 
取税人は何故人々から嫌われていたと思いますか? ルカ3:13では「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」と、ルカ19:8では「騙し取った人からは4倍にして返します。」と取税人に関連して言われています。 ということはこのような事をしていたという事です。
あなたならこのような仕事を選ぶでしょうか? 何故レビはそのような仕事を選んだのでしょうか? 
レビとは元々は宗教家の家系ということです。 そのような彼が取税人を選んだというのには、何か傷や痛み、憎しみのようなマイナスの経験があってそれに対する反応として選んだのではないかという事が想像されます。

ポイント2:イエス様の態度
当時の宗教家や一般の人々からも嫌われ、見下されていたレビに対してイエス様は、ご自分の弟子として招きました。 
レビはこの時どんな気持ちだったでしょうか? 当時取税人は10人位で仕事をしていたようです。 そうすると、仲間の視線は気にならなかったのでしょうか? 
イエス様について行く事を決めたレビは、自分の家で宴会を開いています(29節)。 そこにはレビの仲間達が大勢集まって来ました。 集まってきた彼らの思いはどうだったでしょう。 レビに声をかけた時に一緒にいた人々もいるでしょう。 また以前からイエス様の噂を聞いたり、通りがかる姿を見た人々もいるでしょう。 そしてレビから話を聞いた人々もいるでしょう。 そんなふうにして彼らはレビの家の宴会に集まって来たのでしょう。 
一方、宴会に集まって来た人々を見て、イエス様はどんなふうに思っていたでしょう。 その表情はどうだったでしょうか? 宗教家達にまた突っ込まれると困った顔をしていたでしょうか? それともこれで宗教家達をやっつけるチャンスがまた出来たと思ったでしょうか? そうではなく、宗教家から見下され、人々から毛嫌いされていた人々がこんなにも集まって来て嬉しかったと、喜んでいたと思います。
またこの時にイエス様はどんな事を語られたでしょう。 全てを捨てて十字架を負ってわたしについて来ないといけないというような事を語られたでしょうか? そうではないと思います。 相手の状態に合わせてその人を生かす言葉を、その人が一歩でも前進出来る言葉を語られたのではないでしょうか。  
相手の状態を考えずに、規則を教えたのは当時の宗教家でしょう。 イエス様はそうではなく、ゴールを目指し、相手を生かす心を持って相手の状態に合わせて語られたと思います。 
この方に今ある所からついて行きましょう。

適用1:人々からの評価で傷つき、その影響でしている行動は何かありますか?
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# by kinojin | 2005-12-04 10:49 | ルカ

2005年11月27日礼拝

「いのちの力」 エゼキエル書47:8~12節  

ポイント1:川の影響
この47章はエゼキエルが見た幻が書かれている所です。 この聖書の個所を読みながらイメージしてみましょう。
この所に出てくる水にはどんな力があるでしょうか?  8節では水を良くする(いやす)。 9節では生物、魚、すべてのものを生かす。 12節では果樹に実を着けさせる。 そんな力があると書かれています。 
これを人間に当てはめて考えてみましょう。 私たちが天のお父さんから来る命に触れる時に、どんな事が起こるでしょうか? それは体や心の癒し(8節)と実を結ぶ生き方(12節)と言えるでしょう。

ポイント2:川の源
ではこの水はどこから流れ出して来ているでしょうか? 12節には「その水が聖所から流れ出ているからである。」とあります。 聖所(神殿)とは、私たちにとって何(何処)でしょうか? それは神との交わりでしょう。 
神と交わる方法はいろいろありますが、そのような交わりを通して、詩篇1篇3節にも「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える」とあるように祝福が目に見える形で現れてくるのです。 

適用1:自分の生活のどの部分に神のいのちの流れを必要としているでしょうか?
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# by kinojin | 2005-11-27 22:54 | エゼキエル

2005年11月20日礼拝

「永遠のいのち」 Ⅰヨハネの手紙1:1~4節     

ポイント1:神との交わり
皆さんは、「永遠のいのち」とは何ですか? どういう意味ですか? と友人などから聞かれたらどう答えますか。
1:2を読むと「永遠のいのち」とはイエスキリストの事だと分かります。 ではどうしてイエスキリストが永遠のいのちなのでしょう?  
1:3ではイエス様を伝えるのは「私たちと交わりを持つようになるため」だと書いてあります。 イエス様(永遠のいのち)を伝える事によって、それを受け入れた人には、神との交わりとその交わりを持っている人々との交わりが与えられるのです。 
このことを思う時に、イエス様を伝えるとは、教理を伝える事ではなく、イエス様との命の関係を分かち合う事である事が分かります。 そして神の交わりの中心にあるものは、神の心また神の価値観であるように思います。

ポイント2:神を知る
「永遠のいのち」という言葉が使われている聖書の箇所を読んでみると、「地上で体験するもの」についてと「天国で体験するもの」についての両方の事が言われています。 そしてその両方に共通していることは、神とのいのちの交わりということです。
ヨハネの福音書17:3でも「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」と永遠のいのちについて説明しています。
ここで言われている「知る」ということは、知識を得るというよりも、むしろ生きたふれあい、交わりを意味しています。
皆さんは最近天のお父さんやイエス様をどんなふうに体験したでしょうか?  

適用1:神のコミュニティの中でどのように神を知り続けて行く事が出来るでしょうか?
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# by kinojin | 2005-11-20 10:52 | Ⅰヨハネの手紙

2005年11月13日礼拝

「良い牧者」 ヨハネ10:11~15節

ポイント1:わたしのものを知っている
10:14に「わたしは良い牧者です。 わたしはわたしのものを知っています。」とあります。 イエス様は自分自身の事を良い牧者だとおっしゃっています。 その良い牧者は私たちにどんな事をしてくださるのでしょうか。 思い巡らして見てください。
良い牧者であるイエス様は私たちの事を「わたしのもの」と言われています。 リビングバイブルでは「自分の羊」と訳しています。 イエス様が私たちに「あなたはわたしの羊(わたしのもの)だよ」と言ってくれています。 その為に、Ⅰコリント6:20では「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。」と言われています。 
そのようにしてくれたイエス様は私たちの事を「知っています」とあります。 何を知っているのでしょうか? 
10:3に「彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。」とあります。 名は体を現すと言われますが、私たちの実態を知っている、全てを知っているということでしょう。 主への思い。 弱さ。 罪。 傷。 束縛。 悪習慣などなどです。 そして知っていてくれた上でどう思っているのでしょう?
13節には心にかけてくれるとあります。 現代訳では「親身になって面倒を見よう」と訳されています。 更に「良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」と11節で言われています。
イエス様は私たち以上に私たちの事を知っていてくださった上で、私たちを愛してくださっています。私たちは、自分自身を愛して、受け入れているでしょうか?

ポイント2:わたしを知っている
10:14に「わたしのものは、わたしを知っています。」とあります。
羊は羊飼いの何を知っているのでしょう? いろいろあるでしょうが、良い牧者として。 命を捨てるほど愛してくれている方。 導き手として知っていると言えるでしょう。 そして主を知る事に限りはありません。 無限に知り続けることが出来るのです。 
ホセア書6: 3に「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」とあるように求め続けて行きましょう。

適用1:主に知られている事を更に知り、主をもっと知る者となれるように祈ろう。
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# by kinojin | 2005-11-13 21:54 | ヨハネ

2005年11月6日礼拝

「主は私の羊飼い」 詩篇23:1~4節

ポイント1:羊飼い
詩篇23篇には、羊飼いである天のお父様が私たちにどんなことをして下さるかが書いてあります。 それらを書き出してみましょう。 またここに書かれている事で自分自身が体験した事のあるものを思い出してみましょう。
1節をリビングバイブル訳は「主は私の羊飼いですから、必要なものはみな与えてくださいます。」と訳しています。 天のお父様が羊飼いだと、私たちにとって必要な物をみな与えてくださるというのです。 
そしてその内容が2節からの個所で説明されています。
2節では、食べ物があり安全な場所に、渇きを癒す場所に導いてくださるとあり、3節では霊的な命を与え歩むべき道に導いてくださると、4節には命の危険の中でも天のお父様が一緒にいて恐れなくても良いまでに守り導いてくださるとあります。

ポイント2:羊飼いがいない
それでは羊飼いがいないと私たちはどのようになってしまうのでしょうか? 
マルコの福音書6章34節には「イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。 そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。」とあります。 
イエス様は人々が羊飼いのいない羊のようであるのを見て、はらわたがひきちぎられるような思いをされたというのです。 私たちの周りの人々を見て私たちはどのような思いをもっているでしょうか? 
先日NHKで夜回り先生(水谷修氏)の番組をしていました。 その中で語られていた若者たちの世界は、薬物過剰摂取(OD)、リストカット、摂食障害、いじめ、ドラッグ、HIVなどでした。 また昨年日本では自殺者が3万人を超えました。 これらも羊飼いがいない羊であるゆえの姿ではないでしょうか。

適用1:主が自分の羊飼いとなってくれている事の素晴らしさを更に味わおう。
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# by kinojin | 2005-11-06 22:19 | 詩篇